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福岡市で冷蔵庫に高齢者の 2 遺体

福岡市西区で、親族からの通報で家宅捜査に入った家からテープで目張りされた冷蔵庫に 2 遺体が発見されたという。犯人はなぜ犯行に及んだのか引いてみたところ、隠者が出た。

隠者がカンテラを下げて死へと向っている。

絵的な状況からすると、もしかしたら犯人は彼ら(隠者)に呼ばれて家を訪ずれたのかも知れない。

隠者は《思慮分別や慎重さ》を意味するが、品位が良くない場合は《裏切り、偽装》などを意味する。

死は《時間と年月の経過による変化》《収入源の喪失、反対に遭う、失敗》を意味し、稀には《死や破滅》も意味する。

必ずしも親族とは限らないが、長い年月の付き合いの人物による犯行のように思える。

また、犯人はこの高齢者(隠者)を長年、大変敬い尊重していたのかも知れない。

しかし犯行に及んだ日に、何らかの特別な頼み事をしたところ断られ、それが引き金となり、長年彼らの顔色をうかがい続けてきた精神的なストレスが爆発し、このような破滅行為に及んだということかも知れない。

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