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盃の 4

蟹座の月、20°──30°
56. まぜこぜになった喜び

《ブック T》“Book T”

4 つの盃の、上の 2 つは溢れ返り下の 2 つへ流れ込むが下の 2 つは溢れ返らない。カードのトップに 1 つの花があるロータスの茎を握る手。真ん中から 2 つの葉が 4 つの盃の間で十字を作るように左右を通過する。月と蟹座が上と下にある。
成功あるいは喜びの終わりへ近付く。続くかも知れないし続かないかも知れないが幸福の安定期の終わり。前述した象徴(盃の 2 や 3)ほどには結婚や愛を示さない。完璧で完全な幸福を表すというには受動的である。迅速さ、探求、追求。競争による知識や技能などの習得、貴重な購入物、企業買収、土地や権力などの獲得;時に不正行為。喜びに何らかの欠点があることを暗示する。
ה(ヘー)のケセド(同時に不快や不安が少々伴う喜びを受け取る。まぜこぜになった喜びと成功)

《PKT》

一人の若者が一本の木の下に座り、目の前の草地に置かれた 3 器の盃をじっと眺めている;雲の中から出た腕が彼にもう 1 器の盃を差し出している。にもかかわらず彼の表情は、その状況に満足していない顔付きである。

退屈疲労、苛立ち、気が進まない、妄想による不快感、まるでこの世のワインが満腹で飽き飽きした感じしかもたらさないかの如く; もう一杯のワインが、 精霊の贈り物なのだろうか、今この浪費家に差し出されているが、それが彼にとって何の慰めにもならない。このカードは、 ごちゃ混ぜになった喜びをも表わす。

不一致。

(逆位置)目新しさ、前兆、新しい指針、新しい関係。

予感・嫌な予感。

《絵的な鍵》

】 【 4 】 【青空】 【】 【野原】 【】 【樹木】 【腕組み】 【うつむく】 【赤色】 【青色】 【緑色


👉 ラベル:盃の4

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