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XV. 悪魔

72. 物質のゲートの主、時間の力の子供/ע/山羊座(“Book T”)

《大まかな意味》“Tabulated Rules”

物質性、物理的な力。物質的な誘惑;時に頭から離れないほどの執着、とくに恋人関連の場合

《PKT》

破壊、暴力、激烈、桁外れの努力、力、宿業;宿命づけられたもののうち邪悪ではないもの。

(逆位置)邪悪な宿業、弱味、狭量・卑劣、盲目的。

《カード占いの手引き》“A Manual of Cartomancy”

I. 思慮分別の世界
宿命、邪悪、間違った精神;邪悪に対してよく頑張ることも示す
II. 順応の世界
反乱;拒絶する精神;とくに間違った教義に対して、悪魔の崇拝
III. 目標達成の世界
最後の敵;精神的な慢心(優越感);奈落の深淵が開く;反キリストの精神

《妖精の言葉》“The Quest of the Golden Stairs”

呪文の女王(緑柱石)──騙し騙される、パッション、ワイルド、未知、邪悪:“私たちの間のことは全て間違っています”

《最後のステップ》“Steps to the Crown”

悪は償いの時が熟するまで絶え間なく焼き殺し続ける、悪もまた悪の犠牲者である

《絵的な鍵》

5 】 【悪魔】 【ヤギ】 【】 【】 【】 【真正面】 【黒色】 【鎖】 【五芒星】 【隣に人がいる】 【二人】 【赤毛】 【アダムとエバ】 【】 【乳房】 【尻尾


👉 ラベル:悪魔


《タロットの切り札》“The Tarot Trumps”

このカードは死と結びつけて考察されるべきである。万物の 2 つの巨大なコントロールの力であり、それらは遠心力と求心力であり、破壊と再生であり、動と静である。人間の下級の本質は変化の過程を怖れひどく嫌う;ゆえに鎖が劣った人物を縛り、彼らの足先は獣のような形になっている。さらに実に、この変化への恐怖と崩壊・衰弱は、生命力の安定と連続性の維持のために必要不可欠なのである。
カラーは、インディゴ、内出血したような青白い茶色、ゴールデン・ブラウン、グレイ

《PKT》

この図案は、(『タロット図解』の中の)第 1 部で触れたいくつかのモチーフを和合したり、中間をとったり、調和させたものである。蝙蝠のような翼のある、「メンデスの角山羊」(=バフォメット像)が、祭壇の上に座っている。お腹の窪みの所には、マーキュリーの印がある(☤;A. E. ウェイトの図案と P. C. スミスの作品の間に食い違いがある)。右手は上に向けて手を開き、5 番目のカードの司祭長の示す祝福の印相と対称を為している。左手には大きな火のついた松明があり、地面に向けて逆さまになっている。額には逆向きの五芒星がある。祭壇の正面には輪があり、そこから 2 本の鎖が男女 2 人の人物の首につなげられている。これらは 6 番目(恋人たち)のカー ドと類似していて、あたかも堕落した後のアダムとイヴのようである。( 6 番目のカードに対して)このカードにおける堕落は、鎖と物質的生活の宿命に関するものである。

この人物たちには尻尾があり、畜生道的性質を示しているが、顔には人間的知性が存在し、彼らが上位に崇め奉っている者は恒久に彼らの主人でいられるわけではない。現状ですら、彼もまた奴隷なのであり、彼自身の内部の邪悪なるものに操られ、隷属状態から解放されることなど考えてみようともしないのである。エリファス・レヴィは、その(彼が畏敬するふりをし、その領域で達人だと(誤)解されているところの)技法(=オカルト科学と魔術)に対する単なる嘲笑以上の意味合いを込めて、バフォメット像というものはオカルト科学と魔術であると断言している。また別の註釈者は、天上界においてそれ(バフォメット像)は宿命を象徴し、下界において凶暴な属性のものだとされるそれが、天上界における象徴性とは何の相関性もないのだと述べている。このカードが示すのは、(エデンの園の)禁断の果実を食べてしまった時にそこから追い出されて神秘(エデン)の園を見失ってしまった、境界領域にいる住人である。

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DaiGo【改めて謝罪】

メンタリストの DaiGo さんという人が生活保護の人を批判して、世間から非難され、その謝罪をした動画を見た。それに関して 1 枚引いたところ、貨の A の正位置だった。 面白半分で軽はずみな発言に及んでしまったようだが、社会に対してこのようにきちんとした謝罪をしており、34 歳という年齢からしても伸びしろがある人ということなのではないかと思った。 慚愧 という言葉がある。 彼が自分自身に対して恥かしい、と、どの位感じたかという「慚」については分からないが、世間に対して自分がなした過ちを恥じているという「愧」については形に表している。 猛烈な批判の嵐に遭い、自分の誤りを完全に認めて謝罪する勇気を起こせたのも、彼の周りには大切な善き家族が大勢いるからかも知れない。 また、人生、何があっても明日という日が与えられている、という展開を表しているともいえる。 ちなみに、極悪前科を語る小山田圭吾氏には、貨の A の逆位置が出ていた。自分で変化を起こせる明日という日を生かすことなく過ごすと、いつかそれ相応のつけが回ってくるという事例といえそうだ。