スキップしてメイン コンテンツに移動

剣の 2

天秤座の月、1°──10°
27. 平和の回復

《ブック T》“Book T”

白い光を放つ天使のような手に各々掴まれた、Z. A. M. の風の短剣のような 2 本がクロスした剣。2 本の剣がクロスした場所には 5 枚の花びらのバラがあり、白い光線を発している、そしてカードの上と下には 2 本の小さな短剣が、それぞれ居住地を示す月(水平位に)と天秤座の象徴を支える。
同じ本質の矛盾した特徴。苦しみを通しての強さ。苦しみの後の喜び。犠牲やトラブルを示すが、あたかも苦しみが美を表へ引き出すように、バラが象徴する強さの生起もある。回復された平和、短期間の休戦、人の意見や判断を尊重して合意する、正義。真実と虚偽。利己的でない、トラブルへの悲しみや同情、弱っていたり迫害されているときの援助。また一度(不本意に)許すと、侮辱を繰り返したくなる傾向があり、悪気はなく、相手の気分を害さないようにそつなく、大した問題でないことを質問したりして、しばしば侮辱する。おしゃべり、話し好き。
ו(ワウ)のコクマー(口論や諍いが起き、未だ緊張関係が残っている。時には利己的だったり時には利己的でない行動)

《PKT》

目隠しをした一人の女性が、肩のところで二本の剣のバランスを取っている。

図案が示すところの追従と均衡、抗争状況下での勇気、友情、協調;他の解釈としては、優しさ、好意、親密さ。調和的な意味や他の好ましい解釈は、限定的に考察されるべきである、というのも一般的に剣というものは人間関係における生産的な力を象徴しないからである。

女性にとっては贈り物、助けを求めている男性(人)にとっては有力な保護。

(逆位置)詐欺、嘘、二枚舌、不義理。

悪者との取引。

《絵的な鍵》

】 【 2 】 【】 【】 【】 【白色】 【目隠し】 【イス】 【岩礁


👉 ラベル:剣の2

このブログの人気の投稿

2020 年 9 月自民党次期総裁選

先月 28 日に安倍総理辞任表明があったので、来年 10 月までの残りの任期を引き継ぐ自民党の次期総裁について占ってみました。 菅義偉 官房長官「杖の6」←「隠者」 岸田文雄 政調会長「盃の王」←「剣の6」 石破茂 元幹事長「貨の5」→「貨の6」 という展開となりました。 石破氏が次期総裁になる可能性はまず少ないと思います。かなり不利な情勢のように見受けられます。 なので残る、菅氏か岸田氏のどちらかということになりますが、次期総裁の有力候補としては安倍さんの病による辞任がなければもともとは岸田氏なのだと思いますが、菅氏が任期引き継ぎの総裁となるのだと思いました。 絵で読み解いてみると、菅氏(杖の 6)が安倍総理(隠者)から月桂冠(リーダーシップ)を一旦(馬上で)受け取っている。(馬のベールに隠れているのは菅政権の後継として一年後の総裁選で本命の河野太郎氏?) 岸田氏(盃の王)は安倍さんが無事に任期を満了していれば有力な後継者だったところが、イレギュラーな事件(安倍さんの任期を残した辞任)によりチャンスを逃した(剣の6(逆))。 石破氏(貨の 5)はそもそも蚊帳の外で、全国の自民党員の人気は別として、主流派(国会議員)からは実質的に相手にされていないようです。

女性に自殺を思いとどまらせたセラピードッグ

イギリス南西部デボン州で高速道路の上の橋から 飛び降り自殺を図ろうとしている女性を地元消防署のセラピードッグが思いとどまらせた という。この時の犬と女性の関係について引いてみたところ、犬は 最後の審判 の逆位置、女性は 盃の 8 の逆位置だった。 最後の審判それ自体には「最終結果」という意味があるが、逆位置の場合には、そのような思い切った最終決断に踏み切れない、「弱さ」「意気地の無さ」を示す。つまり、この事件のセラピー犬のディグビーは、女性にとって、自殺という発作的で不可逆的な行為を踏み止まらせるような、か弱い、いたいけな存在としてそこに登場したのであろう。彼女よりも、強く生きている警察官や消防隊員たちからのいわゆる“上から目線”の説得よりも、彼女が守ってあげる立場の存在である犬のディグビーの方が、彼女に生きる気力を与えることになったのである。 そして、盃の 8 だが、これも本来は失望を示すのだが、逆位置となると反対に「大いなる喜び・幸せ」などを示すのである。まさしく、追い詰められた中でのディグビーとの邂逅が、女性に生きる喜びを思い起こさせたであろうことは、想像に待たない。

DaiGo【改めて謝罪】

メンタリストの DaiGo さんという人が生活保護の人を批判して、世間から非難され、その謝罪をした動画を見た。それに関して 1 枚引いたところ、貨の A の正位置だった。 面白半分で軽はずみな発言に及んでしまったようだが、社会に対してこのようにきちんとした謝罪をしており、34 歳という年齢からしても伸びしろがある人ということなのではないかと思った。 慚愧 という言葉がある。 彼が自分自身に対して恥かしい、と、どの位感じたかという「慚」については分からないが、世間に対して自分がなした過ちを恥じているという「愧」については形に表している。 猛烈な批判の嵐に遭い、自分の誤りを完全に認めて謝罪する勇気を起こせたのも、彼の周りには大切な善き家族が大勢いるからかも知れない。 また、人生、何があっても明日という日が与えられている、という展開を表しているともいえる。 ちなみに、極悪前科を語る小山田圭吾氏には、貨の A の逆位置が出ていた。自分で変化を起こせる明日という日を生かすことなく過ごすと、いつかそれ相応のつけが回ってくるという事例といえそうだ。